タンサンの思い出 - 2011.02.22 Tue

もう10数年前だが、以前住んでいた家に、顔は愛らしい恰幅のいい雄猫さんがいた。
近所中に別宅(うちが本宅なのか判らないが)を持つ彼は、
行く先々で名前をもらい気ままな猫生活を送っていたようである。
うちとは別の階に住む方からは、いつも押し入れの中にいるので「ドラえもん」。
すぐ近くでお店をされているオーナー家族からは、
しっぽがアライグマのようだからと「ラスカル」。
飲み屋のおかみさんからは、背中にある白い模様が竜のようだからと「竜さん」。
我が家では、ただ「猫さん」と呼んでいたのだが、
「猫タンさん」→「タンさん」と変わっていった。
なんと呼ばれようと気にすることもなく、
そこの家庭の色に合わせて生活していたタンさんは、
体もデカイが顔もデカイ。
しかし猫としての器もでかかったようだ。
人・猫に限らず女と子どもには優しく、
人・猫に限らず男には手厳しいタンさんは近所の猫を取り仕切っていたそうである。
「治安が保たれていたのよ~」と、後に近所の方々がおっしゃっていた。
しかし、島(テリトリー)を巡る抗争に明け暮れていたので病気になり、
彼の本意か不本意か、我が家を終の棲家と選んで下さった。
左後ろ足を切断したり、ガンに侵されたり一時期危ない状態が続いたが、
さすがここいらのボス。
目に力が宿り始めたと思ったら、家を脱走した・・・汗
すぐに見つかったが、もう外を勝手に出歩かせてはいけないので
仕事から帰宅後、夜な夜なリードを装着しての散歩。
タンさんはさぞ屈辱だったろう。
病院から退院した時は、近所の方々がお見舞いに来てくださった。
手にはタンさんの好物の品々。
事あるごとに、お刺身や猫缶やオヤツの差し入れも頂いた。
散歩中に「これを○○ちゃんに~!」と
走って追っかけて好物を差し出されたこともある。
「美食家だから~」が、近所の人の合言葉にもなっていたし、
食べ物に関しては憎らしくなるくらい贅沢な猫だった。
猫缶はすぐに飽きて全く食べなくなり、
スーパーのお刺身や切り身はよっぽど鮮度がよくないと食べない。
しかし、病院からは栄養のあるものを食べさせてくれと言われている。
自由がなくなったうえ、注射で痛い思いをしているのだから、
せめて食事くらい楽しく食べてもらいたい。
あの時は、結婚前の旦那さんと
毎日毎日タンさんのご飯のことばかり考えていたように思う。
人間はさもしい食事でも、
タンさんには新鮮なお魚や刺身やお高い猫缶だった。
私が一緒に暮らし始めたばかりの仔うさぎを亡くし、
毎日泣き暮れている時にフラ~っと顔を出すようになったタンさん。
仕事で帰りが遅くなったときは必ず、
暗闇から目を光らせて「うにゃーうにゃー」と
文句をたれながらお出迎えもしてくれていた。
外に出せなくなってしばらくは、全部の部屋のど真ん中にウンチをし、
出勤するため足を突っ込んだ靴の中にもウンチをしてくれた。
タンさんのノミに私がやられ、巨峰大の水ぶくれがあちこちに出来た。
寝たきりになった時は体がすぐ汚れるので
拭いたり洗っていたのだが、お風呂場はまさしく戦場だった。
旦那さんは引っかき傷だらけだけど私には決して爪を立てなかった。
ふごふごと甘えてきてくれて、ゴロゴロしながらおしゃべりもしたし
一緒に窓の外をボ~っと眺めたりした。
タンさんと暮らした日々は短かったのだが
怒ったり笑ったり色んな思い出を残してくれた。
彼には不本意かもしれないが(ほんとは外に出たかったろう)、
最後は私たちの腕の中で逝ってくれたのがやはり嬉しかったし、
病気にはなったけれど、そんなに悪くない、楽しい猫人生だったのではないかと・・・
勝手に思っている。
優しく賢い猫だったから、
そうやって私たちの心が軽くなるよう思わせてくれていたのかもしれない。
・・・ありがとう。
カジルもある意味、美食家。
時々、中身がタンさんじゃない?って思うことあり。
実際、ねこっかぶりな犬ですから・・・。
inu.Co.@michiyo
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